すすきのの伝説「古艪帆来」はなぜ消えた?閉店理由と跡地の現在
札幌の夜の象徴であるすすきの交差点から南へ足を進めると、かつて誰もが見上げた巨大な看板がありました。難読漢字の筆文字で堂々と掲げられていた屋号、それが「古艪帆来(ころぽっくる)」です。ビルの中に広がる広大なフロア、中央に鎮座する巨大な生け簀、威勢のいい板前たちの掛け声、そして網の上でパチパチと音を立てる炉端焼きの香ばしい煙――道内外を問わず、北海道を訪れた人々や地元企業人の宴会を半世紀にわたって支え続けた名門居酒屋でした。
しかし、あの熱気に満ちていた空間の扉は閉ざされ、戻ることはありませんでした。半世紀に及ぶ歴史を誇り、すすきののシンボルとまで呼ばれた大箱居酒屋は、一体なぜ姿を消さなければならなかったのでしょうか。ネット上で飛び交った憶測の真実、2026年現在の跡地のリアル、そして多くのファンが待ち望む復活の可能性について、現地の証言や業界構造の分析を交えて詳報します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「古艪帆来(ころぽっくる)」は1971年創業の老舗居酒屋であり、2020年の感染症拡大による度重なる営業自粛と、大人数による大宴会需要の完全消失が致命打となって閉店した。
- 要点2:400席規模を誇る「メガ大箱居酒屋」ゆえの高額な固定費・維持コストが、長引く自粛局面で最大の足枷となり、事業継続を断念せざるを得ない構造的要因となった。
- 要点3:2026年現在、すずらんビル周辺は「COCONO SUSUKINO」開業など再開発の渦中にあるが、古艪帆来の屋号による店舗復活はなく、そのスピリットは元従業員たちの独立店や地元の海鮮文化へと受け継がれている。
【名店の系譜】「古艪帆来」の読み方とすすきのを席巻した半世紀の歴史
初見ではまず正確に読むことが難しい「古艪帆来」という屋号は、アイヌの伝承に登場する蕗(ふき)の下に住む小人「コロポックル(コログル)」に漢字を当てたものです。「古い艪(ろ)で帆を張り、やって来る」という字面からは、荒海を越えて豊かな北海の幸を運んでくる情景が連想され、北の大地のロマンと温かみを感じさせる絶妙な命名でした。
創業は1971年(昭和46年)、札幌冬季オリンピックの開幕を翌年に控え、街全体が空前の熱狂と近代化に沸き立っていた時代です。運営会社であった株式会社古艪帆来は、すすきのの要所である南4条西4丁目のすずらんビルを中心に拠点を構え、北海道ならではのダイナミックな食文化をリーズナブルに提供する炉端居酒屋としてスタートしました。
昭和から平成へと元号が変わる好景気の波に乗り、古艪帆来は増床と改装を重ねていきます。エレベーターを降りると広がる約400席もの客席空間には、少人数で板前との会話を楽しむカウンター席から、数十人規模の宴会に対応する大広間までが完備されていました。まさに「すすきのに古艪帆来あり」と言わしめるほどの圧倒的な存在感を放っていたのです。

名物メニューと圧倒的熱気|利用者の生の声から紐解く人気の理由
古艪帆来の代名詞といえば、店内に設置された巨大な生け簀から水揚げされる鮮度抜群の活魚でした。函館直送の活イカが透き通る姿のまま手際よく捌かれ、皿の上でゲソが躍る「活イカ刺し」、水槽から引き揚げられてその場で茹で上げられる「活毛ガニ」、そして脂が滴る特大サイズの「シマホッケ開き」。これらを豪快に盛り込んだ舟盛りは、道外からの観光客の目を丸くさせ、宴席のボルテックスを生み出していました。
当時の賑わいについて、大手口コミサイトやSNS、地元コミュニティには今も数多くの記憶が書き残されています。
「新入社員として初めて配属された札幌支店で、先輩たちに連れられて行ったのが古艪帆来だった。あの広大な座敷で、何十人ものサラリーマンが一斉に乾杯する地鳴りのような歓声は、昭和・平成のすすきのの活力そのものだった」
「家族旅行で訪れた際、子どもたちが生け簀を泳ぐカニや魚に釘付けになり、店員さんが気さくにカニを持ち上げて見せてくれた。観光客向けの高飛車な店ではなく、どこか家庭的で温かい接客が心に沁みた」
地元の常連客にとっては日常の宴の場であり、出張族や観光客にとっては「ここへ行けば北海道の美味がすべて揃う」という絶対的な安心感を提供する場でした。その絶妙なバランスこそが、半世紀にわたり愛され続けた最大の原動力でした。
【閉店の深層】すすきのの伝説居酒屋はなぜ消えたのか?噂の真相と決定打
多くの人々に親しまれた古艪帆来が突如として表舞台から姿を消したのは、2020年春のことでした。世界中を襲った未知のウイルスによるパンデミックは、歓楽街すすきのの灯りを容赦なく奪い去りました。当初は感染拡大防止を目的とした一時休業と告知されていましたが、事態の長期化に伴い、そのまま再開されることなくひっそりと暖簾を下ろす決断が下されたのです。
突然の幕引きに対し、ネット上では「経営陣の内紛があったのではないか」「大規模な地上げに巻き込まれたのではないか」といった根拠のない憶測が飛び交いました。しかし、商業不動産関係者や飲食業界筋の証言を辿ると、そこにはメガ居酒屋特有の極めてシビアな経済的現実が浮かび上がってきます。
最大の決定打となったのは、「400席という圧倒的なスケール」そのものでした。古艪帆来のビジネスモデルは、毎週末のように繰り返される大企業の歓送迎会、忘新年会、旅行会社の大型バスツアー、そして修学旅行生といった「マス(集団)の集客」を前提に設計されていました。大人数を効率的に回転させることで、広大なフロアの家賃や生け簀の維持管理費、多数の熟練板前やホールスタッフの人件費といった重い固定費を回収していたのです。
しかし、度重なる外出自粛要請と「3密回避」の号令により、歓楽街での大人数宴会は完全に悪とみなされる世情へと急変しました。売上がほぼゼロにまで落ち込む一方で、月数百万円単位で発生し続ける維持コストが容赦なく体力を削り取りました。感染症の終息が見通せない中、赤字垂れ流しによる致命的な破綻を避けるため、余力があるうちに潔く幕を引くという苦渋の経営判断が下されたのが実情です。

【データ比較検証】昭和・平成の「メガ大箱居酒屋」と令和飲食のビジネスモデル
古艪帆来の閉店は、単なる一店舗の撤退にとどまらず、昭和から平成にかけて歓楽街の主役を務めてきた「大型大衆居酒屋」という業態そのものが直面した構造的転換を象徴しています。飲食業界の指標をもとに、当時のビジネスモデルと現代(2026年)のトレンドを比較検証します。
| 項目 | 古艪帆来(メガ大箱型) | 令和の主流業態(2026年水準) | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| 客席規模・フロア面積 | 約300〜400席(ワンフロア全面展開) | 30〜60席(小型〜中型の分散型) | 大箱は固定費リスクが極めて高く、有事の柔軟性に欠ける |
| 主な収益エンジン | 大口宴会、観光団体、修学旅行 | 2〜4名の少人数、インバウンド個人客 | 組織的な大宴会文化の衰退により収益構造が根本から変化 |
| 設備・維持コスト | 大型生け簀、専用調理場、大量のホール人員 | モバイルオーダー、オープンキッチン、省人化 | 生け簀や板前の常駐は差別化要素である一方、高コスト要因 |
| 平均客単価 | 3,500円〜5,000円(大衆価格帯) | 6,000円〜10,000円超(体験価値重視) | 原価高騰・人件費高騰下では薄利多売の維持が困難化 |
比較データが物語る通り、古艪帆来の強みであった「圧倒的なスケールと大衆価格」は、パンデミック以降の固定費高騰時代において、店舗運営を直接圧迫する要因へと反転してしまいました。大量仕入れによって実現していた高品質・低価格の構図は、集客の絶対数が担保されて初めて成り立つ精密なバランスの上に成り立っていたのです。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「復活」の噂を徹底調査
閉店から数年が経過した現在でも、ネット上では「古艪帆来が別の場所で復活したらしい」「別会社が屋号を買い取って再開を計画している」といった噂が定期的に浮上します。しかし、これら情報の多くには重大な誤解が含まれています。
まず、「古艪帆来」という屋号での営業再開は行われていません。商標や権利関係を調査しても、当時の運営母体が新店舗を開業した事実はなく、旧店舗のあったすずらんビルのフロアも再編され、別のテナントや新たな飲食店区画へと生まれ変わっています。
では、なぜこのような「復活説」が絶えないのでしょうか。背景には、2つの現実的な要因が存在します。
第一に、古艪帆来の厨房を支えていた熟練の板前やフロアマネージャーたちが、すすきの内外の個人店や小規模海鮮居酒屋へと移籍し、あるいは独立して自らの店を構えている点です。そうした店を訪れた常連客が「古艪帆来のあの味がここで食べられる」とSNSで発信したことが、伝言ゲームのように拡大解釈され、「本家が復活した」という誤情報に変容していったケースが散見されます。
第二に、すすきの交差点周辺の都市再開発です。旧ラフィラ跡地に誕生した複合商業施設「COCONO SUSUKINO(ココノ ススキノ)」をはじめ、エリア一帯が急速に近代化を遂げる中で、観光メディアが「古き良きすすきのの情緒」を特集する際、過去の象徴として古艪帆来の名を挙げる機会が増加しました。これが過去のアーカイブ情報と混ざり合い、現在進行形で営業しているかのような錯覚を生み出しているのです。

【プロの結論】都市歓楽街の構造変化から学ぶべき教訓と飲食店の選び方
都市社会学の観点から歓楽街の変遷を紐解くと、古艪帆来の退場は「人と街の距離感の変化」を如実に物語っています。昭和から平成の歓楽街は、会社組織のヒエラルキーや地域社会の連帯を確認し合う「疑似共同体の祝祭空間」でした。巨大な座敷で見知らぬ酔客同士が肩を組み、大声で笑い合う大箱居酒屋は、社会的な潤滑油としての機能を十全に果たしていたのです。
対照的に、2026年の現代を生きる生活者が求めるのは、過度な同調圧力を排除した「心理的バウンダリー(境界線)」が守られた空間です。会社の強制的な大宴会は敬遠され、気心の知れた少人数や個人の時間、あるいは本物の食体験に対して対価を払う価値観が定着しました。大衆をまるごと呑み込むようなメガ居酒屋が姿を消し、コンセプトが明確な専門店や高付加価値型の小規模店へとシフトしたのは、必然的な時代の要請だったと言えます。
北海道の居酒屋選びにおける判断基準
かつて古艪帆来が担っていた「北海道らしさを存分に味わいたい」というニーズに対し、現在のすすきので後悔しない店選びを行うための客観的な判断基準を提示します。
- 現在のすすきの居酒屋が向いている人:
- 特定の食材(活イカ、ウニ、特定産地の牡蠣など)に特化した専門性の高い料理を味わいたい人
- カウンター越しに店主や料理人と落ち着いて会話を楽しみたい少人数(1〜3名)のグループ
- 洗練された完全個室や、現代的な換気・衛生環境が整った空間で食事を楽しみたい人
- 慎重に店を選ぶべき人(当時の古艪帆来の感覚を求めている人):
- 「予約なしでふらっと行けば数十人でも入れる巨大店」を期待している人(現在のすすきのでは極めて希少)
- 1人あたり3,000円台で巨大な舟盛りやカニまで付いたフルコースを求める人(原材料・輸送費高騰のため価格崩壊店は品質リスク大)
- 昭和・平成特有の騒然とした活気や、無礼講の大広間宴会そのものを楽しみたい人
【古 艪 帆 来】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:古艪帆来の正しい読み方と名前の由来を教えてください。
A1:「ころぽっくる」と読みます。アイヌの伝承に登場する蕗の下に住む小人「コロポックル」に由来しており、「古い艪で帆を張りやって来る」という意味を込めた漢字が当てられています。
Q2:古艪帆来が閉店した本当の理由は何ですか?
A2:2020年の感染症流行に伴う営業自粛と、客足の激減が直接の原因です。特に同店は400席規模の大箱であったため、大口の宴会需要や旅行ツアーが完全に途絶えたことで、広大なフロアの家賃や生け簀の維持費といった莫大な固定費を賄いきれなくなり、事業継続を断念しました。
Q3:2026年現在、古艪帆来の跡地はどうなっていますか?
A3:かつて出店していた「すずらんビル」内の区画はすでに再編され、別の飲食店やテナントが入居して稼働しています。当時の大箱空間のまま残されているわけではありません。
Q4:今後、古艪帆来が復活する可能性はありますか?
A4:当時の運営会社による同一形態での復活の予定はありません。ただし、かつて腕を振るった料理人たちやすすきのの老舗飲食関係者が、それぞれ独立店や系列の別店舗で当時の味や仕込みの技術を継承しています。
まとめ:すすきのの記憶に生き続ける「古艪帆来」の遺伝子
街は生き物であり、時代とともにその景観や賑わいの形を変えていきます。巨大なネオンが煌めくすすきのの交差点を見渡せば、新しい商業ビルが建ち並び、キャッシュレスやモバイルオーダーが当たり前となったスマートな飲食店が主流を占めています。
それでも、あの急な階段を上った先で出迎えてくれた巨大な生け簀の飛沫、威勢よく響いた板前の声、そして北海の幸を満載した舟盛りに歓声を上げた記憶は、何世代にもわたる人々の胸に深く刻まれています。古艪帆来という偉大な名店が遺した「豪快で温かい北海道のもてなしの精神」は、形を変えながらも、今日もすすきのの夜を彩る料理人たちの包丁さばきの中に息づいています。 (出典: 古 艪 帆 来(Yahoo!ニュース))